紀州釣り師も最初は釣り初心者
●釣り初心者の頃の自分。
当時、私はチヌという魚を全く知らなかった。
それどころか、仕掛けや釣り方が正しいのかも分からず、見よう見まねで釣りをしていた。
そんな自分の姿を人に見られるのが何となく恥ずかしいとさえ感じていた。
初めての釣りは小学生の頃。
当時は親友とよく釣りに出かけた。
家の近所に和歌川という川があり、投げ釣りをして遊んだが、まともな魚を釣った記憶がない。
和歌浦漁港へもよく出かけた。
和歌浦と言えば紀州釣りのメッカである。しかし子供の私が釣るのはギンタやガッチョといった外道ばかり。
当然、チヌなどという魚は見たことも聞いたこともなく、そんな高級魚を知っているはずがない。
私にとって、当時、最も憧れの魚はキスやアジといったいわゆる大衆魚である。
しかも、サビキでアジを釣るのも、当時はかなりの勇気が必要だった。
釣りをしているところを人に見られるのが恥ずかしかったからである。
サビキ釣りですらやったことがなく、釣り道具も何を使えば良いのか全く分からず、竿は投げ竿の20号を使った。
と言うより、竿はそれしか持っていなかった。
磯竿や波止竿など、竿に色々な種類があることを知ったのは釣りサンデーという週刊誌のおかげである。
釣りの本を読んで勉強したのは、釣り場で失敗をして恥をかかないための防御策だった。
そんな私も、今や紀州釣りでチヌを釣っている。
チヌという魚をとにかく釣りたくて仕方がなかった。それは隣の釣り人が釣ったキビレという魚のせいである。
----------------------------------------------------------
●キビレというカッコいい魚の真実
サビキ釣りも回数を重ねるごとに上達していった私は、友達を誘って仕掛けや釣り方などを教えて釣りを楽しんでいた。
アジよりも、たまに釣れてくる木っ端グレが高級魚に思えて嬉しかった。
子供の頃よく出かけた和歌浦漁港が私のホームグラウンドで、その時の光景の一コマである。
夕方、ふらっとやってきた隣の釣り人に声を掛けてみた。
「そのエサは何ですか?」
「これか?これはボケや。」
「何を釣るんですか?」
「キビレや。ここは結構釣れるんやで。」
キビレと言われてもあまり興味が沸かない。
キビレという名前が何となく可愛く思えて、キスやアジみたいなものだと勝手に思い込んでいたからである。
今度は知らない人が声を掛けてくる。
どうやらこの人もキビレを狙っているらしい。
ここでキビレが釣れるか知りたがっているようである。
しかし私はキビレという魚を知らないので、「よく分からない」と返事をした。
朝にキビレを一匹釣ったというので、クーラーの中を見せてもらって仰天した。
銀色に輝く、その見事な魚体にわが目を疑った。
まるで鯛のような魚で大きさは35センチぐらいあった。
10センチそこそこの木っ端グレで喜んでいた私にとって、そんな大きな魚が釣れる事が信じられなかったのである。
しかし、それが幻でなく真実であることを知ったのは、そのすぐ後だった。
-----------------------------------------------------------
●チヌを釣りたい。
ボケをエサに仕掛けを放り込むだけでキビレが釣れる。
その光景を目の当たりにした時、自分の知らない釣りの世界が見えた。
置き竿でアタリを待つのがブッ込み釣りのスタイルである。
忙しく竿を上下させて魚を釣るサビキ釣りとは違って、ただ待つだけで暇そうな釣りに思えた。
だが、その瞬間は突然やってきた。
今まで見たこともない豪快な竿の曲がり。
これがキビレのアタリである。
その後の魚とのやり取りを一部始終眺めていた。
「ハリスは何号や?」「もっと竿を立てろ!」
私は、二人が魚とやりとりをしているその光景が、とても羨ましく思えた。
ボケというエサを使えばキビレが釣れる。
そう思った私は、早速ボケを買いに行ったが、普通の釣具店では売っていなかった。
仕方なく青イソメで狙ってみた。
20号の投げ竿でやってみたが、キビレを釣ることはできなかった。
その後、釣りの本当の魅力が知りたくなった。
チヌという魚を知ったのもその頃である。
釣りの本によく登場するチヌという名前の魚。
鯛の仲間というだけで、この魚にはなぜか好感が持てた。
釣ってみたいと思ったのは、チヌ釣りに対するファンの多さもその理由である。
チヌを釣ればそれが自信になり、釣りをしているところを人に見られるのが恥ずかしかった自分が変われると思った。
それほどチヌという魚が偉大に思えた。チヌを知れば知るほどそう思えた。
-----------------------------------------------------
●最初のチヌ釣りは何も分からず
ある日、友人と釣りに出かけることになった。
「何を釣りたい?」と聞かれたので、私は「チヌが釣りたい」と返事をした。
友人は「チヌは難しい」と言ったが、私はそれでも釣りたいと答えた。
近くの釣具屋でヌカとオキアミを購入し、和歌浦漁港に向かった。
当時の私はチヌ釣りと言えばフカセ釣りだと思っていたので、友人がヌカを買った理由がまるで分からなかった。
釣具屋の情報では、養殖のマダイが逃げて子供でも釣れる状況とのこと。
友人は、「それを狙おう」と言ったが、私はチヌ以外はまるで興味がなかった。
私は紀州釣りには全く興味がなかったが、友人が親切に教えてくれるので、友人に言われるままにダンゴを握って沈めてみた。
しかし全くアタリが分からないばかりか、フカセ釣りがやりたかった私は、釣りをやってても全然面白くなかった。
和歌山ではチヌ釣りと言えば紀州釣りと言われるほどメジャーな釣りであるが、こんなのでチヌが釣れる訳がないと内心思っていたからである。
-----------------------------------------------------
●フカセ釣りがチヌ釣りの基本
チヌを釣ろうと本を読んでみると、やはりフカセ釣りが気になった。
興味を持った私は、道具を買いに行った。
チヌバリ、チヌ専用ウキなど、チヌという名前の道具に目が行った。
フカセ用の円錐ウキは持っていたが、本に書いてあったように、まず最初は自立の棒ウキから始めた。
それは遠矢国利氏の本の影響である。
近くの漁港や堤防からチヌを狙ってみた。
オキアミやアオイソメでタナは底スレスレで流してみるが、釣れるのは外道ばかりである。
数回目の釣行で初めて釣ったチヌは、15cmくらいのカイズである。
昼間だけでなく、夜も電子ウキでチヌを狙って釣行した。
その後も釣行を重ねるが、チヌはほとんど釣れなかった。
後に、紀州釣りを始めたばかりの友人と気が合い、一緒に釣行するようになり本格的に紀州釣りをすることになった。
-----------------------------------------------------
●紀州釣りでチヌを狙う
マリーナシティの、今は釣り公園になっているところが、私の紀州釣りデビューの場所である。
当時は金網で柵がしてあったが、当時は知る人ぞ知る紀州釣りの穴場であった。
ここの突堤はまるで釣りをするために作られたような形状で、ここでは釣り人の多くが紀州釣りをやっていた。
当然、自分もそこで竿を出すことにした。
周りを見てみると、皆同じように杓を使ってダンゴを遠投してチヌを釣っていた。
最初はとにかく見よう見まねで釣りをしたが、その時は見るもの全てが斬新だった。
そして、次の釣行では私も杓を使ってダンゴを投げていた。
ダンゴを遠くへ投げなければチヌが釣れないと思ったからである。
しかし、他の釣り人はチヌを釣っているが、自分は全く釣れない。
釣り方を真似しただけで簡単にチヌが釣れる訳がなかったのである。
仕掛けやウキを観察して、同じものを買ってみるが結果は同じだった。
何度目かの釣行である事件に遭遇した。
夕方ふらりとやって来た釣り人が、いきなり1投目でチヌを釣ったのである。
正直、驚いた。
なぜ?その理由がまるで分からない。
自分は朝からやっていて、チヌは全く釣れなかったからである。
いろいろと考えてみた。やがていくつかの答えが出た。
まず、チヌが釣れる場所があること。
次に、同じ所へたくさんダンゴを投げてポイントを作ること。
そして、チヌが寄ってくるまで根気よく打ち返すこと。
夕方やって来た釣り人が1投目で釣れたのは、その友人が釣っていたポイントにうまくダンゴを投入したからである。
そこには初めからチヌが寄っていたため、1投目で釣れたのだった。
私の紀州釣り1年目は全てが勉強で、釣果は偶然釣れた25cmのチヌ1匹だけであった。
-----------------------------------------------------
●チヌは必ず釣れると信じられた
紀州釣り2年目も釣れたチヌは1匹だけで、自分にはチヌは釣れないと思っていた。
そもそも、この海域にはチヌがいないのでは?とさえ思いはじめていたのである。
やがて、そんな自分の考えを全て打ち消す衝撃的な事実を目の当たりにする。
知り合いが船を持っていて、チヌが簡単に釣れるというのを聞いて、一緒に出かけることにした。
場所は片男波やマリーナ周辺で、自分がよく釣りをする海域である。
知り合いによると、この海域には何千匹という数のチヌがいるというのである。
私はその話を聞いてもピンと来ない。正直、大げさな話だと思っていた。
船からはブッ込み釣りをした。
ブッ込み釣りは本を見て知っていたので、仕掛けも迷うことがなかった。
15号のオタフクオモリを中通しにして仕掛けをセットする。
ハリスは2号でエサはボケである。
嫁と3人で一人3本づつ竿を出しアタリを待った。
期待と不安でアタリを待ったが、すぐに答えは出た。
大きく曲がって揺れる竿がその魚の大きさを伝えていた。
それは和歌浦で見たキビレのアタリと同じだった。
手にしたのは40cmのチヌだった。
和歌浦で見た、あのキビレより、その魚はずっと輝いて見えた。
その後数回の釣行でも確実に大型のチヌが釣れた。
何度目かの釣行で、出した竿が次々に曲がるのを目撃した。キビレの入れ食いである。
チヌがほとんどいないと思っていた私は、この海域のチヌやキビレの多さを実感することとなった。
そして、あのキビレの入れ食いは、時合いというのを初めて経験した瞬間でもあった。
それは、その後の釣りスタイルを大きく変える出来事だった。
-----------------------------------------------------
●紀州釣りの自分のスタイル
玉ウキ、遠投、ハワセ。
紀州釣りの本格的なテクニックを勉強した当時の私の答えが、この釣りスタイルである。
この頃、特にこだわったのがハワセである。
サシエを絶対に浮かさないよう集中し、多めにハワせる事にした。
船で大型チヌを連発し、あのキビレの入れ食いを経験した私は、チヌは必ず釣れると思えるようになっていた。
そして、どんな状況でもチヌの時合いを信じ、根気よくダンゴを打ち返すことができた。
自信を持てるようになった私は、釣行の度にチヌを釣り上げた。
そしてチヌを釣るたびに感動で手が震えた。
紀州釣り3年目のこの年、私は120匹のチヌを手にしていた。
つまり、120回もの感動を手にしたわけである。
紀州釣りを始めてもう20年以上になる。
チヌはもう何千匹も釣っている。
紀州釣りのスタイルは、寝ウキ、できるだけ遠投しない、底トントン、に変わった。
しかし、チヌを釣った時の感動は今も変わらない至福の瞬間である。
グレや石鯛を釣っても、その感動を味わったことはない。
チヌに憧れ、チヌが釣れるのを夢見て釣行した日々が、私をチヌ釣り師へと変えていった。
やはりチヌ釣り師にはチヌが似合うのである。
当時、私はチヌという魚を全く知らなかった。
それどころか、仕掛けや釣り方が正しいのかも分からず、見よう見まねで釣りをしていた。
そんな自分の姿を人に見られるのが何となく恥ずかしいとさえ感じていた。
初めての釣りは小学生の頃。
当時は親友とよく釣りに出かけた。
家の近所に和歌川という川があり、投げ釣りをして遊んだが、まともな魚を釣った記憶がない。
和歌浦漁港へもよく出かけた。
和歌浦と言えば紀州釣りのメッカである。しかし子供の私が釣るのはギンタやガッチョといった外道ばかり。
当然、チヌなどという魚は見たことも聞いたこともなく、そんな高級魚を知っているはずがない。
私にとって、当時、最も憧れの魚はキスやアジといったいわゆる大衆魚である。
しかも、サビキでアジを釣るのも、当時はかなりの勇気が必要だった。
釣りをしているところを人に見られるのが恥ずかしかったからである。
サビキ釣りですらやったことがなく、釣り道具も何を使えば良いのか全く分からず、竿は投げ竿の20号を使った。
と言うより、竿はそれしか持っていなかった。
磯竿や波止竿など、竿に色々な種類があることを知ったのは釣りサンデーという週刊誌のおかげである。
釣りの本を読んで勉強したのは、釣り場で失敗をして恥をかかないための防御策だった。
そんな私も、今や紀州釣りでチヌを釣っている。
チヌという魚をとにかく釣りたくて仕方がなかった。それは隣の釣り人が釣ったキビレという魚のせいである。
----------------------------------------------------------
●キビレというカッコいい魚の真実
サビキ釣りも回数を重ねるごとに上達していった私は、友達を誘って仕掛けや釣り方などを教えて釣りを楽しんでいた。
アジよりも、たまに釣れてくる木っ端グレが高級魚に思えて嬉しかった。
子供の頃よく出かけた和歌浦漁港が私のホームグラウンドで、その時の光景の一コマである。
夕方、ふらっとやってきた隣の釣り人に声を掛けてみた。
「そのエサは何ですか?」
「これか?これはボケや。」
「何を釣るんですか?」
「キビレや。ここは結構釣れるんやで。」
キビレと言われてもあまり興味が沸かない。
キビレという名前が何となく可愛く思えて、キスやアジみたいなものだと勝手に思い込んでいたからである。
今度は知らない人が声を掛けてくる。
どうやらこの人もキビレを狙っているらしい。
ここでキビレが釣れるか知りたがっているようである。
しかし私はキビレという魚を知らないので、「よく分からない」と返事をした。
朝にキビレを一匹釣ったというので、クーラーの中を見せてもらって仰天した。
銀色に輝く、その見事な魚体にわが目を疑った。
まるで鯛のような魚で大きさは35センチぐらいあった。
10センチそこそこの木っ端グレで喜んでいた私にとって、そんな大きな魚が釣れる事が信じられなかったのである。
しかし、それが幻でなく真実であることを知ったのは、そのすぐ後だった。
-----------------------------------------------------------
●チヌを釣りたい。
ボケをエサに仕掛けを放り込むだけでキビレが釣れる。
その光景を目の当たりにした時、自分の知らない釣りの世界が見えた。
置き竿でアタリを待つのがブッ込み釣りのスタイルである。
忙しく竿を上下させて魚を釣るサビキ釣りとは違って、ただ待つだけで暇そうな釣りに思えた。
だが、その瞬間は突然やってきた。
今まで見たこともない豪快な竿の曲がり。
これがキビレのアタリである。
その後の魚とのやり取りを一部始終眺めていた。
「ハリスは何号や?」「もっと竿を立てろ!」
私は、二人が魚とやりとりをしているその光景が、とても羨ましく思えた。
ボケというエサを使えばキビレが釣れる。
そう思った私は、早速ボケを買いに行ったが、普通の釣具店では売っていなかった。
仕方なく青イソメで狙ってみた。
20号の投げ竿でやってみたが、キビレを釣ることはできなかった。
その後、釣りの本当の魅力が知りたくなった。
チヌという魚を知ったのもその頃である。
釣りの本によく登場するチヌという名前の魚。
鯛の仲間というだけで、この魚にはなぜか好感が持てた。
釣ってみたいと思ったのは、チヌ釣りに対するファンの多さもその理由である。
チヌを釣ればそれが自信になり、釣りをしているところを人に見られるのが恥ずかしかった自分が変われると思った。
それほどチヌという魚が偉大に思えた。チヌを知れば知るほどそう思えた。
-----------------------------------------------------
●最初のチヌ釣りは何も分からず
ある日、友人と釣りに出かけることになった。
「何を釣りたい?」と聞かれたので、私は「チヌが釣りたい」と返事をした。
友人は「チヌは難しい」と言ったが、私はそれでも釣りたいと答えた。
近くの釣具屋でヌカとオキアミを購入し、和歌浦漁港に向かった。
当時の私はチヌ釣りと言えばフカセ釣りだと思っていたので、友人がヌカを買った理由がまるで分からなかった。
釣具屋の情報では、養殖のマダイが逃げて子供でも釣れる状況とのこと。
友人は、「それを狙おう」と言ったが、私はチヌ以外はまるで興味がなかった。
私は紀州釣りには全く興味がなかったが、友人が親切に教えてくれるので、友人に言われるままにダンゴを握って沈めてみた。
しかし全くアタリが分からないばかりか、フカセ釣りがやりたかった私は、釣りをやってても全然面白くなかった。
和歌山ではチヌ釣りと言えば紀州釣りと言われるほどメジャーな釣りであるが、こんなのでチヌが釣れる訳がないと内心思っていたからである。
-----------------------------------------------------
●フカセ釣りがチヌ釣りの基本
チヌを釣ろうと本を読んでみると、やはりフカセ釣りが気になった。
興味を持った私は、道具を買いに行った。
チヌバリ、チヌ専用ウキなど、チヌという名前の道具に目が行った。
フカセ用の円錐ウキは持っていたが、本に書いてあったように、まず最初は自立の棒ウキから始めた。
それは遠矢国利氏の本の影響である。
近くの漁港や堤防からチヌを狙ってみた。
オキアミやアオイソメでタナは底スレスレで流してみるが、釣れるのは外道ばかりである。
数回目の釣行で初めて釣ったチヌは、15cmくらいのカイズである。
昼間だけでなく、夜も電子ウキでチヌを狙って釣行した。
その後も釣行を重ねるが、チヌはほとんど釣れなかった。
後に、紀州釣りを始めたばかりの友人と気が合い、一緒に釣行するようになり本格的に紀州釣りをすることになった。
-----------------------------------------------------
●紀州釣りでチヌを狙う
マリーナシティの、今は釣り公園になっているところが、私の紀州釣りデビューの場所である。
当時は金網で柵がしてあったが、当時は知る人ぞ知る紀州釣りの穴場であった。
ここの突堤はまるで釣りをするために作られたような形状で、ここでは釣り人の多くが紀州釣りをやっていた。
当然、自分もそこで竿を出すことにした。
周りを見てみると、皆同じように杓を使ってダンゴを遠投してチヌを釣っていた。
最初はとにかく見よう見まねで釣りをしたが、その時は見るもの全てが斬新だった。
そして、次の釣行では私も杓を使ってダンゴを投げていた。
ダンゴを遠くへ投げなければチヌが釣れないと思ったからである。
しかし、他の釣り人はチヌを釣っているが、自分は全く釣れない。
釣り方を真似しただけで簡単にチヌが釣れる訳がなかったのである。
仕掛けやウキを観察して、同じものを買ってみるが結果は同じだった。
何度目かの釣行である事件に遭遇した。
夕方ふらりとやって来た釣り人が、いきなり1投目でチヌを釣ったのである。
正直、驚いた。
なぜ?その理由がまるで分からない。
自分は朝からやっていて、チヌは全く釣れなかったからである。
いろいろと考えてみた。やがていくつかの答えが出た。
まず、チヌが釣れる場所があること。
次に、同じ所へたくさんダンゴを投げてポイントを作ること。
そして、チヌが寄ってくるまで根気よく打ち返すこと。
夕方やって来た釣り人が1投目で釣れたのは、その友人が釣っていたポイントにうまくダンゴを投入したからである。
そこには初めからチヌが寄っていたため、1投目で釣れたのだった。
私の紀州釣り1年目は全てが勉強で、釣果は偶然釣れた25cmのチヌ1匹だけであった。
-----------------------------------------------------
●チヌは必ず釣れると信じられた
紀州釣り2年目も釣れたチヌは1匹だけで、自分にはチヌは釣れないと思っていた。
そもそも、この海域にはチヌがいないのでは?とさえ思いはじめていたのである。
やがて、そんな自分の考えを全て打ち消す衝撃的な事実を目の当たりにする。
知り合いが船を持っていて、チヌが簡単に釣れるというのを聞いて、一緒に出かけることにした。
場所は片男波やマリーナ周辺で、自分がよく釣りをする海域である。
知り合いによると、この海域には何千匹という数のチヌがいるというのである。
私はその話を聞いてもピンと来ない。正直、大げさな話だと思っていた。
船からはブッ込み釣りをした。
ブッ込み釣りは本を見て知っていたので、仕掛けも迷うことがなかった。
15号のオタフクオモリを中通しにして仕掛けをセットする。
ハリスは2号でエサはボケである。
嫁と3人で一人3本づつ竿を出しアタリを待った。
期待と不安でアタリを待ったが、すぐに答えは出た。
大きく曲がって揺れる竿がその魚の大きさを伝えていた。
それは和歌浦で見たキビレのアタリと同じだった。
手にしたのは40cmのチヌだった。
和歌浦で見た、あのキビレより、その魚はずっと輝いて見えた。
その後数回の釣行でも確実に大型のチヌが釣れた。
何度目かの釣行で、出した竿が次々に曲がるのを目撃した。キビレの入れ食いである。
チヌがほとんどいないと思っていた私は、この海域のチヌやキビレの多さを実感することとなった。
そして、あのキビレの入れ食いは、時合いというのを初めて経験した瞬間でもあった。
それは、その後の釣りスタイルを大きく変える出来事だった。
-----------------------------------------------------
●紀州釣りの自分のスタイル
玉ウキ、遠投、ハワセ。
紀州釣りの本格的なテクニックを勉強した当時の私の答えが、この釣りスタイルである。
この頃、特にこだわったのがハワセである。
サシエを絶対に浮かさないよう集中し、多めにハワせる事にした。
船で大型チヌを連発し、あのキビレの入れ食いを経験した私は、チヌは必ず釣れると思えるようになっていた。
そして、どんな状況でもチヌの時合いを信じ、根気よくダンゴを打ち返すことができた。
自信を持てるようになった私は、釣行の度にチヌを釣り上げた。
そしてチヌを釣るたびに感動で手が震えた。
紀州釣り3年目のこの年、私は120匹のチヌを手にしていた。
つまり、120回もの感動を手にしたわけである。
紀州釣りを始めてもう20年以上になる。
チヌはもう何千匹も釣っている。
紀州釣りのスタイルは、寝ウキ、できるだけ遠投しない、底トントン、に変わった。
しかし、チヌを釣った時の感動は今も変わらない至福の瞬間である。
グレや石鯛を釣っても、その感動を味わったことはない。
チヌに憧れ、チヌが釣れるのを夢見て釣行した日々が、私をチヌ釣り師へと変えていった。
やはりチヌ釣り師にはチヌが似合うのである。
この記事へのコメント
約半世紀前のことですが、和歌川や和歌浦漁港というと私が子供の頃
(中学~高校の時)に良く釣りに行ったものです。懐かしいですね。
昔は和歌川の河口はアサリの養殖場となっていました。
夏の昼間に、浜の宮近辺の砂浜でイチヨセを掘っておいて、
夜に和歌川の道路沿いの堤防から片男波側に向かって、
短竿で軽く投げてチヌやキビレの手のひら級を数多く釣った
記憶があります。
これが育って海南関電波止や和歌浦のほうへ出ていくのだろう
と思っていました。今はどうでしょう。
当時は、見様見まねで紀州釣りを海南関電波止や和歌浦でして、
大型は釣れないものの数釣りは出来ていた感があります。
(大型を狙うときは海南関電波止でズボ釣りでの記憶が有ります)
この当時の紀州釣りのウキは木製の玉ウキが主流でしたが、
知らないままに変遷し、今は寝ウキが主流になっていますね。
2年前に紀州釣りを神戸で再開時に、周りは寝ウキやへらウキを
改造した自立棒ウキで、玉ウキを使う人は見ませんでした。
個人的に何かしっくりせず、昔も奇抜だった発泡スチロール製の
紀州釣り用の樽ウキを記憶の中から思い起こし、自作・改良して
中空円柱ウキとして復刻・試釣しています。
他には誰も使っていない異形のウキを使って、遠投での紀州釣りも
なかなか良いものですよ。
(ウキが大きいので超遠投でも視認性抜群です)
当たりを取ってチヌが釣れた時は、また違った満足感があります。
紀州釣りは自作要素が色々とあるので、楽しみが増しますね。
(中学~高校の時)に良く釣りに行ったものです。懐かしいですね。
昔は和歌川の河口はアサリの養殖場となっていました。
夏の昼間に、浜の宮近辺の砂浜でイチヨセを掘っておいて、
夜に和歌川の道路沿いの堤防から片男波側に向かって、
短竿で軽く投げてチヌやキビレの手のひら級を数多く釣った
記憶があります。
これが育って海南関電波止や和歌浦のほうへ出ていくのだろう
と思っていました。今はどうでしょう。
当時は、見様見まねで紀州釣りを海南関電波止や和歌浦でして、
大型は釣れないものの数釣りは出来ていた感があります。
(大型を狙うときは海南関電波止でズボ釣りでの記憶が有ります)
この当時の紀州釣りのウキは木製の玉ウキが主流でしたが、
知らないままに変遷し、今は寝ウキが主流になっていますね。
2年前に紀州釣りを神戸で再開時に、周りは寝ウキやへらウキを
改造した自立棒ウキで、玉ウキを使う人は見ませんでした。
個人的に何かしっくりせず、昔も奇抜だった発泡スチロール製の
紀州釣り用の樽ウキを記憶の中から思い起こし、自作・改良して
中空円柱ウキとして復刻・試釣しています。
他には誰も使っていない異形のウキを使って、遠投での紀州釣りも
なかなか良いものですよ。
(ウキが大きいので超遠投でも視認性抜群です)
当たりを取ってチヌが釣れた時は、また違った満足感があります。
紀州釣りは自作要素が色々とあるので、楽しみが増しますね。
評論家さん、ブログを見て頂いてありがとうございます。
評論家さんも和歌川や和歌浦で釣りをしたのですね。
> 紀州釣りは自作要素が色々とあるので、楽しみが増しますね。
そのとおりだと思います。
釣りは何も魚を釣るだけが楽しみではないです。
私はウキや杓、田辺箱も自作していますし、ヌカも自分で配合し、エサのボケも自分で採ってきたりします。
自分で作った道具だからこそ愛着があるし、大切にします。
その大切な道具で一匹一匹大切に釣った釣った魚だからこそ、より一層輝いて見えるのかもしれません。
釣りの本当の楽しさとは、実はそういう心の豊かさなんだと思っています。
評論家さんも和歌川や和歌浦で釣りをしたのですね。
> 紀州釣りは自作要素が色々とあるので、楽しみが増しますね。
そのとおりだと思います。
釣りは何も魚を釣るだけが楽しみではないです。
私はウキや杓、田辺箱も自作していますし、ヌカも自分で配合し、エサのボケも自分で採ってきたりします。
自分で作った道具だからこそ愛着があるし、大切にします。
その大切な道具で一匹一匹大切に釣った釣った魚だからこそ、より一層輝いて見えるのかもしれません。
釣りの本当の楽しさとは、実はそういう心の豊かさなんだと思っています。
コメントへのレスポンスありがとうございます。
紀州釣りを約40年振りに再開して、最初は浦島太郎状態でした。
釣りの腕は完全に初心者で、有り合わせの道具を使い再開したので、
周りとの違いが有り過ぎでした。(魚はたまに釣れる程度です)
紀州釣りの仕掛けや釣り方の紹介ページは非常に参考になります。
寡黙な紀州釣り師の1人なので、なかなか釣り場の常連さんとの話題も
少なく、ひたすらダンゴを投げに釣り場に通っている状態です。
魚の当たりが見えるウキには多少のこだわりを持って自作しており、
視力の衰えを感じる年齢になって、「釣れた魚」ではなく「釣った魚」
となるように、視認性>敏感性>遠投性の順位で色々な特徴を持たせて
ウキの自作・試釣をしています。
(市販品の改造を含めて、既に200近くのウキを作っています)
見た目は良い出来栄えでも、実釣してみると思いとは違うのが多く、日々改良の連続ですが、これもまた楽く釣りが出来ている証です。
別の記事コメントで、杓の自作40本に触発されて、仕上がり寸法
95cmの長杓を作ってみました。(初めての長杓の自作です)
杓の柄の弾力を活かして投げられるのが好きなのですが、市販品の
長杓は柄の固いのが大半でうまく使いこなせない状態でした。
長杓でも自分の体形・嗜好に合ったものに仕上げることで、ダンゴの
投入もコントロール良く出来て、楽しく感じられるものになりました。
(これはもう少し早く気付くべきだっと思いました)
紀州釣りを約40年振りに再開して、最初は浦島太郎状態でした。
釣りの腕は完全に初心者で、有り合わせの道具を使い再開したので、
周りとの違いが有り過ぎでした。(魚はたまに釣れる程度です)
紀州釣りの仕掛けや釣り方の紹介ページは非常に参考になります。
寡黙な紀州釣り師の1人なので、なかなか釣り場の常連さんとの話題も
少なく、ひたすらダンゴを投げに釣り場に通っている状態です。
魚の当たりが見えるウキには多少のこだわりを持って自作しており、
視力の衰えを感じる年齢になって、「釣れた魚」ではなく「釣った魚」
となるように、視認性>敏感性>遠投性の順位で色々な特徴を持たせて
ウキの自作・試釣をしています。
(市販品の改造を含めて、既に200近くのウキを作っています)
見た目は良い出来栄えでも、実釣してみると思いとは違うのが多く、日々改良の連続ですが、これもまた楽く釣りが出来ている証です。
別の記事コメントで、杓の自作40本に触発されて、仕上がり寸法
95cmの長杓を作ってみました。(初めての長杓の自作です)
杓の柄の弾力を活かして投げられるのが好きなのですが、市販品の
長杓は柄の固いのが大半でうまく使いこなせない状態でした。
長杓でも自分の体形・嗜好に合ったものに仕上げることで、ダンゴの
投入もコントロール良く出来て、楽しく感じられるものになりました。
(これはもう少し早く気付くべきだっと思いました)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。